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[31]  「格差社会」について考える
□投稿者/ bonito -(2007/08/03(Fri) 17:35:16)

    Time : 2007/03/10(Sat) 19:04:29

    少し前のテレビ番組で村上龍が野球選手の松井とサッカー選手の三浦カズを
    相手に現代「格差社会」の「格差」をどう思うか?みたいな質問をしていた、
    まぁその回答についてはここでは触れない事にしよう(あんまり意味がないので)
    村上龍は、〜今「格差」の問題が色々な所で取りざたされている、少し前なら
    「貧富の差」といっていたように思うが、今は「格差」という、そしてそれが
    その「格差」という言葉が何だかよくわからないが「貧富の差」というよりは
    ずっと今の社会の状況を的確に言い表しているように感じている、何故だろう
    〜というような意味の事を言っていた

    さすがにスルドイ感性である、現にお金持ちである身でそう思うのは…
    「格差」という言葉は格の差という意味であるから、もともとは単に「貧富の
    差」だけでなく、ありとあらゆる差をさしていう事が出来る筈である
    そして、今この国は「格差社会」であって、この「格差」が問題であるという
    人たちがいて、その人たちは、その差(貧富の差)が大きすぎることとか(なか
    にはもちろん差があること自体がけしからんという人もいる)、差(貧富の差)
    が発生する過程に社会的な不公平(または不正義)が存在することとか、が問題
    なのであるというのだが…
    まぁもちろんそれも問題ではあるだろう、が実はもっと大きな問題は村上龍が
    言うように「貧富の差」の大きな社会を「格差社会」といってはばからず、そ
    してそれが全ての人に違和感のなく受け止められている事ではないだろうか

    人類の過去には、いや日本の歴史をみても、もっと「貧富の差」の大きな時代
    はあった筈である、というか原始時代からほんの少しの間を除いて、ほとんど
    の時代は今より「貧富の差」は大きかったんだろうと思う、しかし今になって
    「格差社会」である、つまり金のあるなしが、「格差」全ての差の、モンサシ
    になる時代になってしまったのではないか、「金がすべて」(の優劣、幸不幸を
    決定する)と金のある人も金のない人も信じる時代がきたのだ
    金がなくても幸せな人は今の時代でももちろん存在する、しかしそれは本当の
    幸せではない、あるいは完全な幸せではない、という時代の声(誘惑)が、みん
    なの胸の奥にこだましているような気がしてならない

    「価値観の多様化」とか言うヤツがいる、とっても疑問、ホントかいな?
    似たような言葉に「ニーズの多様化」というのがあるが、評論家大先生はこの
    二つを混同してないか、たしかに爛熟した資本主義の中でニーズは多様化して
    いると思う、しかし万民の価値観は今や、お金に集中しているんじゃないの
    一億総金の亡者(古いし字余り)時代なんじゃないの

    「格差社会」は悲しい
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